洛中の酒を守り伝えて
この界隈(上京区日暮通椹木町)は「聚楽第」のちょどうど南の端に位置しています。聚楽第は豊臣秀吉の造営によるもので、周囲を堀に囲まれた、それはそれは広大な城郭だったそうです。
出水という地名が残されているように、この一帯は良質の地下水に恵まれたところで、古くから酒造りが盛んでした。
この豊富な地下水と京都盆地特有の底冷え、酒造りにこれ以上の理想的な気候風土はありません。京都の酒といえばだれもが伏見を連想しますが、まだまだ京都市中の酒も健在です。組合(京都酒造組合)主催で利き酒会などを開いてPRも始めました。組合といっても、組合員は三名だけですが。
京都の市中にこんな古めかしい酒蔵が現役で残っているというと、皆さんびっくりなさいます。私としては先代からの家業を受け継いだだけで、特別なことをしているとは思いませんが。必死で酒を造ってきたら、こうなったというだけです。でも三軒しかないとなると、なんとか後世に残さなくてはと思います。室町時代には、洛中だけで三五〇軒近くの造り酒屋があったと聞いています。明治中期にも百軒ほどありましたが、戦前戦後を迎えて激減。私がこの蔵を継いだ昭和三十一年には三十軒までに減り、いまでは松井酒造(左京=享保年間創業)と安田酒造(中京=嘉永年間創業)とうちだけになりました。こんな街中で酒蔵を運営していくのはたいへんです。跡地を有効利用するほうが資産運用上からも効率がいいというので、クシの歯が抜けるように蔵が壊され、マンションなどに変わっていきました。寂しいことですが、これも時代の流れ。仕方ありません。
私どものような小さな蔵が生き残るには、手間ひまはかかりますが、吟醸酒や純米酒、本醸造酒など品質が高く個性的な酒を造っていくしかありません。千利休が茶の湯に使ったといわれる聚楽第ゆかりの「金明水・銀明水」を仕込み水に、但馬から杜氏を呼び寄せ洛中伝承の技法を守っています。といいましても醸造量は一七〇キロリットル、一升瓶にして十万本弱。わずかなものです。祇園あたりの料亭では『古都』という銘柄の酒が好評をいただいています。川端康成先生に「この酒の風味こそ京の味」と誉めていただき、光栄にも先生の小説の題名を頂戴し、揮毫までしてくださいました。この蔵にも二回ほどお越しいただきました。なにかお土産をと申し上げますと、筆記用具入れに使うので酒袋がほしい、とおっしゃったことを覚えております。
京都の酒は伝統的に甘口です。私も本当の清酒の味は甘口にあると思います。日本酒は「段仕込み」といって、段階的に仕込みます。辛口の三段仕込みに対して、甘口は四段仕込みで一段手間がかかる。にもかかわらず、今は辛口が好まれます。酒そのものを味わうには甘口が最適ですが、料理があまり進みません。一方の辛口は料理との相性がよい。それが辛口が好まれるようになった理由ではないでしょうか。うちの蔵では甘口や辛口というより、濾過や脱色などの処理を一切せず、できる限り米の旨味を大切にした酒造りを心がけています。
酒造りは「一麹、二もと、三造り」といいまして、米と麹と酵母から自然の働きを利用して造ります。自然の力だけで十八、十九度という高いアルコール度数を生み出すのは、世界広しといえども他に例がありません。洛中の酒造りの灯を絶やしてはいけないと思っています。そのためにも、小さな蔵でしかできない、こだわりのある酒造りをコツコツと続けていきたいと思います。毎年、旧組合員二十人ほどが集まって新年会を開きますが、洛中の酒の伝統をこれからも守ってほしいと励まされます。
酒造りは本当に難しい、なかなか思うようにはいきません。でも、だからこそ面白い。こんなに面白いこと、めったなことではやめられませんね。
語り:佐々木勝也 ささき・かつや
昭和8年、京都市生まれ。同31年、大阪府立大学農学部醗酵研究室修了と同時に蔵を継ぎ、若き蔵元として下火になりかけていた酒造りの復興に取り組む。あくまでも洛中の酒の古式にこだわり、大手メーカーにはできない酒造りを志向する。現在、京都酒造組合理事長として洛中の酒のPR役を積極的に務めている。
「京都祇園・おこしやす」2001年夏号より |